買った売った儲かった

もしくは売った買った儲かった

老害社会ニッポン。老人株暴落前夜。(いつかは自分も通る道)

老人の万引き事件やら、シニアのモンスタークレーマーの増加、
最近の大手家具会社の創業者の勘違いぶりなどを見てて思う。

老人たちは自分の価値を見誤っていないかと。

確かに昔は年寄りが貴重な存在だった。若者:老人比率が10:1とかで
しかも、冠婚葬祭、四季折々の伝統、地域の歴史や文化の継承などなど
若者がまだ知り得ない知識や知恵が、お年寄りのシワとシワの間に蓄積されていた。
それが老人の価値であった。

でもさ、人の移動の自由がここまで広がり、
地域の伝統とか冠婚葬祭の重要性がこれまでほどではなくなり
さらに、若者:老人比率が1:1までに近づきつつある状況で
その上、わからないことはグーグル様に聞けば
おおよそのことは解決することができる時代がやってきたわけで。

年寄りの価値。という需給バランスは完全に変わった。と考えるのが妥当では?

その時代の変化、需給の変化を目の当たりにしておきながら
「自分は年寄りだから敬え。従え。」って言われても周囲は困るんじゃないか?

極端な例かもしれないが、お尋ねしたい。
あなた様は自動車やトラクターの普及時期に馬や牛を大切にしてきたんですか?と。
この先もただ単に年上だから。と言ってふんぞり返っていられるのだろうか。

むしろ逆にもしこの先、
国債のデフォルト、年金の破たん、ハイパーインフレが来たとしたら
その種を蒔いたのは誰だ。先送りしてきたのは誰だ。と
戦犯探しでやられる側になるのは年配者の方々ではと。

将来、人が他人に対してどれだけやさしい存在でいられるかは私にはわからない。
ただ、自分がこれから高齢者となっていく頃には今以上に
若者:老人の需給関係が崩れており、老人の株は下落している事だろう。
肩身の狭い老後を今から覚悟しておこう。

老人は敬われて当然。というのはこれまでの概念。過去の美徳
その程度に考えて、今後の齢の重ね方を考えていきたい。

いつかは自分も通る道。である。

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